神戸地方裁判所 平成2年(行ウ)10号 判決 1991年7月30日
原告
沖野敏男
被告
神戸東労働基準監督署長宇谷昭雄
右指定代理人上席訟務官
柳原孟
同訟務官
前川昭
同労働事務官
渋田正彦
同労働事務官
宗光甫友
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告の原告に対する、昭和六一年八月五日付の労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 被告の原告に対する、昭和六二年一月二六日付の労働者災害補償保険法施行規則第一四条別表第一に定める障害等級一四級の障害補償の支給をする旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 原告の主張
1 原告は、港湾労働法に基づく神戸港労働公共職業安定所の登録日雇港湾労働者(船内職種)として昭和六〇年一一月五日、川西港運株式会社(以下「川西港運」という。)に雇われ、同日午前一一時頃、神戸新港第五突堤に停泊中のソ連船の船倉内において作業中、揚貨機のいわゆる本船フックにかけられていたフック付きスリングが、約五メートルの高さから落下して原告の左肩に当たった(以下「本件事故」という。)ため、負傷(以下「本件傷害」という。)した。
2 原告は、本件事故当日は、川西港運の指示により神戸市新開地所在の医療法人昌栄会吉田病院「以下「吉田病院」という。)において治療を受けて一旦帰宅し、同月八日から同月二〇日まで入院し、その後通院して治療を受けた。
3(一) 原告は、昭和六一年七月二五日、被告に対し、本件傷害の療養のため休業したことを理由として、昭和六一年六月一日から同年七月二三日までの期間につき、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償給付を請求をした。
(二) 被告は原告に対し、昭和六一年八月五日付を以て右請求にかかる休業補償給付を支給しない旨の処分をした(以下「本件不支給処分」という。)。
(三) 本件不支給処分の理由は、「本件傷害は、昭和六一年五月三一日に治癒したため、療養のため労働することができなかったとは認められない。」というものである。
(四) そこで原告は、昭和六一年八月二六日、本件不支給処分を不服として兵庫県労働者災害補償審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は、これを棄却する旨の決定をし、同決定謄本は、昭和六二年五月二二日、原告に対して送達されたため、原告は、昭和六二年七月二二日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は同請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決謄本は、平成元年一二月二〇日、原告に対して送達された。
(五) しかしながら、原告の本件傷害は、右昭和六一年五月三一日現在においては、未だ治癒していなかったものであるから、本件不支給処分は誤っている。
4(一) 原告は被告に対し、昭和六一年一二月一五日、本件傷害による後遺障害が存することを理由に、労災保険法に基づく障害補償給付支給の請求をした(以下「本件障害補償給付請求」という。)。
(二) 被告は原告に対し、昭和六二年一月二六日付で右請求につき、原告の残存障害は、労災保険法施行規則別表第一所定の身体障害等級(以下単に「障害等級」という。)第一四級九号の「局所に神経症状を残すもの」に該当するとして、その旨の障害補償給付支給処分(以下「本件障害補償支給処分」という。)をした。
(三) そこで、原告は、これを不服として兵庫県労働者災害補償審査官に対し審査請求をしたが、これが棄却されたため次いで労働保険審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会も同請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決謄本は、平成元年一二月二〇日、原告に対して送達された。
(四) しかしながら、原告の本件傷害による後遺障害は、障害等級第一二級六号「一上肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」、及び同第一二級一二号「局部に頑固な神経症状を残すもの」の両者に該当する障害が残存している。
従って、労働基準施行規則第四〇条第一項、第二項、第三項第一号により、原告の行為障害等級は、第一一級に該当するものであるから、本件障害補償給付処分は、誤っている。
5 よって、原告は、請求の趣旨記載の判決を求める。
二 被告の主張等
(原告の主張事実に対する認否等)
1 原告の主張1記載の事実のうち、原告が川西港運に雇われていたところ、昭和六〇年一一月五日午前一一時頃、神戸新港第五突堤に停泊中のソ連船内において船内荷役作業中、いわゆる本船フックにかけられていたスリングが落下して原告の左肩に当たるという本件事故に遭って、本件傷害を負ったことは認めるが、その余の事実は不知。
2 原告の主張2記載の事実のうち、原告が、本件事故当日、吉田病院において受診し、以降同病院で入院加療を受けたことは認めるが、その余の事実は不知。
吉田病院における本件傷害についての判断は、「左肩打撲(肩板損傷の疑い)」であり、原告が同病院に通院したのは、昭和六一年五月末頃までであった。
3 原告の主張3の(一)ないし(四)記載の各事実は認めるが、同3の(五)記載の主張は争う。
4 原告の主張4の(一)ないし(三)記載の各事実は認めるが、同4の(四)記載の事実は否認し、その主張は争う。
(被告の主張)
1 労災保険制度における「治癒」とは、業務上の負傷又は疾病に対して、医学上一般に認められている医療を行ってもその医療効果が期待しえない状態に至ったこと、即ち、症状が固定した状態をいう。負傷にあっては原則として創面が癒着し症状が安定したとき、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状は持続してもその症状が安定したときで、医療効果がそれ以上期待し得ないときをいう。
従って、症状が固定したときは、例え未だ身体的に障害が残り、それに対して対症療法が実施されていたとしても、それは治癒したものとして労災保険法所定の療養費補償給付及び休業補償給付の対象とはならず、身体に障害が残存する場合には、その程度に応じて障害補償給付の対象とされるものである。
2 本件傷害が、遅くとも昭和六一年五月末日までに治癒していたことは、以下の事実から明らかであるから、本件不支給処分は正当である。
(一) 原告が本件事故後、主治医として本件傷害の治療を受けていた吉田病院の医師訴外宮地芳樹(以下「訴外宮地医師」という。)は、既に「現時点で症状は固定しているものと思われる。」と診断し、その旨の診断書を昭和六一年四月二四日付で提出していること。
また、同医師は、被告の依頼に基づいて同年五月二四日提出した意見書を以て、「昭和六一年五月末日以て本件傷害は症状固定とする。」旨の意見を述べていること。
(二) 神戸大学医学部附属病院整形外科所属の訴外水野耕作医師は、原告を診断した結果、「本件傷害部位について関節撮影(造営)(ママ)を行い損傷の有無等を精査したところ特に異常所見はなく、これは臨床所見と一致しない。」旨の診断をし、その旨を訴外宮地医師に対し昭和六一年三月六日付診断結果通知書を以て通知していること。
(三) 兵庫県労働基準局地方労災医員である訴外折原正美医師は、昭和六一年七月四日頃原告を診察したうえ、「現在の訴え及び症状は、肩関節周囲炎の症状と考えられる。肩関節部の打撲後肩関節周囲炎の症状が発症することはありうる。外傷後経過を観察している主治医は、症状固定と判断していることから、現在の状態は、就労可能である。」旨診断し、その旨の昭和六一年七月四日付意見書を被告に対して提出していること。
(四) 兵庫県労働基準局地方労災医員である訴外藤田久夫医師は、原告を診察し、「他覚的に筋萎縮を認めない。圧痛点は明確ではないが、最大外転時に痛みを訴える。エックス線像、関節造影像には異常を認めがたい。他覚的には特に異常所見は認めがたく、主治医の判断のごとく症状は固定しているものと考えたい。」旨の診断を下し、昭和六二年二月一二日付意見書を、本件審査請求に当たって、兵庫県労働者災害補償保険審査官に提出していること。
3 (障害等級認定の基準)
(一) 後遺障害とは、業務上の事由による傷害ないし疾病が治癒した場合において、それと相当因果関係のある身体に残存する永続的な精神的又は肉体的なき損状態によって、一般的かつ平均的な労働能力の喪失ないし減少があったことをいうが、それが障害補償の対象となるには、単に自訴のみではなく、受傷部位等に対応する医学上の証明に基づいて、障害等級表所定の程度に達していることが肯定されなければならない。
(二) 障害等級表は、解剖学的観点から部位に分けられ、次いで各々の部位の機能に重点を置いた生理学的観点から三五の障害系列によって組み立てられ、その中に類型的な一四〇種の身体障害を掲げ、それを第一級から第一四級に区分して障害序列を定めている。
4 本件傷害(肩板損傷の疑い)の治癒(昭和六一年五月末日)後に原告に残存する後遺障害が、労災保険法施行規則第一四条別表第一に定める障害等級一四級九号「局部に神経症状を残すもの。」に該当するものであることは、次の診断等から明らかであるから、本件傷害補償支給処分は正当である。
(一) 訴外宮地医師は、昭和六一年一〇月三〇日付診断書により、原告の障害状態は、「左肩関節の肩峰周辺に自発及び運動痛がある。左棘上筋に圧痛がある。運動痛は、屈曲一六〇度、外転一四〇度で生じる。筋萎縮、関節拘縮も特に認めない。肩関節の運動範囲としては、屈曲(前方挙上)左右共一八〇度、外転(側方挙上)右一八〇度・左一六〇度、伸展(後方挙上)左右共五〇度、外旋右八〇度・左七〇度、内旋左右共七〇度である。」旨診断していること。
(二) 兵庫県労働基準局地方労災医員である訴外天野寿男医師は、昭和六二年一月二二日付意見書により、原告の後遺障害の状態は、「左肩関節痛、脱力を訴える。筋萎縮(一)、側方挙上四五度より関節に引っかかり感を訴える。関節運動域正常。左肩レ線著変なし。よって、一四級相当である。旨の意見を供していること。
(三) 兵庫県労働基準局地方労災医員である訴外伊藤友正夫医師は、本件審査請求に当たって兵庫県労働者災害補償保険審査官に提出した昭和六二年六月二二日付意見書において、原告の障害状態を、「左肩関節、視診上異常を認めない。筋萎縮も認められない。関節可動性は、前挙一六五度(右一六五度)、後挙六五度(右七〇度)、側挙一八〇度(右一八〇度)、内旋は右側に比して約八〇パーセント可で、前方より限局性圧痛を訴える。上腕周囲長は、左右共に三〇センチメートルである。レントゲン所見については、昭和六二年一月一九日撮影のフイルムにおいて異常を認めず。肩関節造影像所見において異常を認めない。本件の障害は、肩関節に一四―九該当のものを残していると考える。」旨の意見をのべていること。
三 原告の被告の主張に対する認否並びに反論等
1 被告の主張1記載の解釈は争う。同2の冒頭に記載の事実は否認する。同2の(一)ないし(四)記載の各事実は、不知ないし否認する。
2 被告の主張3の(一)(二)記載の解釈は不知ないし争う。同4の冒頭に記載の事実は否認する。同4の(一)ないし(三)記載の各事実は、不知ないし否認する。
3 本件傷害の治療経過および症状等は次のとおりである。
(一) 原告は左利きであるので、左肩の本件傷害の影響は、右利きの者に比して重大である。
(二) 原告は、吉田病院で治療を受けていたが、症状がはかばかしくないので、昭和六一年一月一六日、主治医の宮地医師に他の治療法の有無を尋ねたが、同医師は、切開してみないとわからないとの回答であった。
(三) 原告は、昭和六一年二月半ば頃からは自転車に乗れるようになったので、バス通院から自転車通院に切り替えた。そして、昭和六一年四月頃からは、自分の判断で機能訓練のため水泳を始めたが、プールからあがった後は、肩から肩関節あたりが熱を持ち腕を挙げるにも苦痛であった。
(四) 原告の昭和六一年五月三一日頃の症状は、本件事故以前とは雲泥の差があり、懸垂運動等もできない状態であった。
(五) 原告は、昭和六一年一〇月一七日付で神戸港労働公共職業安定所の登録日雇港湾労働者の登録取消し処分を受けたことから、仕方なく昭和六一年一一月にはいわゆる「立ちん坊」として一〇日間仕事に出たが、症状が芳しくないことからこれを中止した。しかし翌六二年四月頃からは、大阪方面等へ仕事に出ている。
(六) 原告においては、昭和六三年夏頃、キャッチボールをしたところ肩関節に摺れるような異常を感じ、その後二週間仕事に差し支えた。
(七) 左肩、左腕に関する現在の症状としては、左肩には右肩とは違う感覚があり、左腕はじっとしていてもだるく、時々締め付けられるような痛みが肘から手の甲にかけて走ることがある。また、左肩関節は鉛でも乗せている感じがあり、手を挙げるのに苦痛を感じることが多い。
第三証拠等
本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるので、それをここに引用する(略)。
理由
一 (原告の主張事実等について)
1 原告が、昭和六〇年一一月五日、川西港運に雇われていたところ、同日午前一一時頃、神戸新港第五突堤に停泊中のソ連船内において船内荷役作業中、いわゆる本船フックにかけられていたスリングが落下して原告の左肩に当たるという本件事故に遭い本件傷害を負ったこと、そのため原告は、本件事故の当日、吉田病院において受診し、以降同病院で入院加療を受けたことは当事者間に争いがない。
また原本の存在及びその成立につき争いがない(証拠・人証略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告が負った本件傷害は「左肩打撲(肩板損傷の疑い)」であったこと、原告が同病院に通院したのは、昭和六一年五月二九日までであったことが認められる。
2 しかるところ、原告の主張3の(一)ないし(四)に記載のとおり、本件不支給処分が、「本件傷害は、昭和六一年五月三一日に治癒したため、療養のため労働することができなかったとは認められない。」との理由でなされる等したこと、並びに原告の主張4の(一)ないし(三)に記載のとおり、原告の残存障害は、障害等級第一四級九号の「局所に神経症状を残すもの」に該当するとして、本件障害補償支給処分がなされる等したことは当事者間に争いがない。
二 (被告の主張事実等について)
1 被告が、被告の主張1において主張する労災保険制度における「治癒」、並びに被告の主張3の(一)(二)において主張する右同制度における「障害等級認定の基準」等に関する解釈等については、それを肯認することができる。
2 そして、(証拠略)、受付印部分に付いてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められることから真正に作成された公文書と推定され、その余の部分については成立に争いがない(証拠略)、受付印部分については右同様真正に作成された公文書と推定され、その余の部分については(人証略)により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、被告の主張2の(一)ないし(四)記載の各事実、並びに被告の主張4の(一)ないし(三)記載の各事実を認めることができる。
従って、右認定事実によれば、原告が本件事故によって負った本件傷害は、遅くも昭和六一年五月末日までには治癒(症状固定)していたこと、並びに原告には右治癒後に本件傷害によって、左肩部に障害等級一四級九号(局部に神経症状をのこすもの。)に該当する後遺障害が残存したことを各々認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
3 原告は、本件傷害は未だ昭和六一年五月末日には治癒していなかった、また、「本件障害補償給付請求をした昭和六一年一二月一五日当時ないしその以後において、原告には本件傷害による後遺障害として、障害等級一二級六号の『一上肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの』、及び第一二級一二号の『局部に頑固な神経症状を残すもの』の両者に該当する障害が残存していた。従って、原告の行為(ママ)障害等級は、障害等級第一一級に該当するものであると判断されるべきである。」旨等主張するところ、原告の本件傷害の治癒の時期及び後遺障害の程度は右2に認定したとおりであり、原告の右主張は採用できない。
なお、原告本人尋問中には、本件傷害は昭和六一年五月末日当時には未だかなり酷い症状であった、また本件障害補償給付請求後には左肩部等に仕事に著しく差し支える程度の痛み等が存在した趣旨の供述部分も存するが、右供述部分は(人証略)の証言等の前掲各証拠に照らすと到底措信することはできない。
三 (結論)
以上によれば、本件不支給処分、並びに本件障害補償支給処分はいずれも正当であるから、原告の被告に対する本件請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条に則って、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長谷喜仁 裁判官 廣田民生 裁判官 野村明弘)